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福岡地方裁判所 昭和48年(行ウ)37号 判決

原告 孫振鴻こと孫振斗

被告 福岡入国管理事務所主任審査官

訴訟代理人 武田正彦 吉田和夫

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一  原告の経歴

当事者間に争いのない事実及び〈証拠省略〉を参酌すると、本件退去強制令書発付の処分に至るまでの原告の経歴は、次のとおりである(〈証拠省略〉)。

1  原告は、韓国国籍を有する外国人であるが、昭和二年三月一五日、大阪市東淀川区本圧川崎町五丁目一番地において、父孫龍祚、母黄又順の四男として出生し、昭和八年大阪市豊崎第五尋常小学校に入学し、昭和一四年三月同校を卒業後高等科に進学したが、そのころ大阪府布施市森河内一七番地に転居したのに伴つて転校し、昭和一七年三月施布市長栄国民学校高等科を卒業した。その当時、原告は孫振鴻を氏名としていたが、小学校六年のころ日本名に改氏し、密山文秀と名乗るようになつた。

2  原告は、学校卒業後、大阪市旭区所在の波名天製紙株式会社に工員として勤務していたが、昭和一八年末ころ一家が広島市南観音町昭和新開二、三五一番地に転居し、同市所在の芸陽製紙会社に父親と共に勤務するようになつた。その後昭和一九年末か二〇年初めころ右会社が操業不能に陥つたため、父親と共にケーブル埋設工事下請の仕事に従事していた。

3  昭和二〇年八月六日広島市に原子爆弾が投下された時、原告は同市皆実町(原告は、爆心地より約二・五キロメートルのところという。)所在の広島専売局敷地内にあつた倉庫内に居合わせ、倒れてきたトタン屋根の下敷になつて手足、背中等に負傷をした。なお原告の父母、妹孫貴達も、それぞれ同市内の別の場所で被爆した。

4  その後、昭和二〇年一〇月ころ、原告の家族は山口県の仙崎港から韓国へ引揚げたが、ひとり原告のみ日本に留まり、大阪市福島区に居住して親戚の仕事を手伝つたり、昭和二二年ころからは東京都荒川区に居住して靴製造店に雇われたりしていた(なお、原告は、大阪市に居住していたころ、朴一達という女性と約一年間内縁関係にあつたが、その後、同女は韓国に引揚げ、原告との間の子供を出産している。)が、昭和二六年二月二〇日京都地方裁判所において外国人登録令違反により懲役三月に処せられ、同年六月大村入国者収容所から韓国へ強制送還された。

5  原告は、その後の昭和二六年一一月日本へ密入国し、間もなく窃盗の罪を犯し、大阪地方裁判所において懲役一年に処せられ、服役後昭和二八年七月韓国へ強制送還されたが、再び昭和三九年四月日本へ密入国し、昭和四三年三月七日横浜地方裁判所川崎支部において窃盗、出入国管理令違反、外国人登録法違反の罪により懲役一年に処せられ、同年一二月一六日右刑の執行を受け終り、昭和四四年二月韓国へ強制送還された。

原告は、最初の強制送還以降韓国に居住する間は、主に、母親と共に(昭和四五年一二月二日日本へ密入国してくる直前は、妹及びその子供二人をも加えて。なお、父親は、いつたん韓国に引揚げた後日本に密入国し、昭和二三年ころ大阪市で死亡している。)釜山市鎮区周礼里冷丼洞一七番地に居住していたのであるが、その間、原告は、概して健康がすぐれず、思わしい就職先もないままに、電球売りの行商をしたり、野菜を作つて売つたり、自家所有の畑を処分したり、親戚より借金したりして生計をたてていた。

6  ところで、原告は、身体の調子が悪いことから、昭和三七、八年ころ釜山第一病院で診察を受けたところ、肺結核であるという診断とともに白血球が減少しているという診断を受けたのであるが、昭和四五年六月ころ再び釜山市所在の内科専門の病院で診察をうけたところ、肺結核が相当悪化しているとの診断を受けた。なお、前記釜山第一病院で白血球が減少しているという診断を受けたとき、同病院の医師に広島で被爆したことを伝えたところ、被爆との関係は専門の病院で精密検査をしないと分からないと言われていた。

7  以上のような生活を続けるうち、原告は再び日本に来ることを思い立ち、知人の李某に世話を依頼していたところ、同人から日本向けの密航船を紹介され、昭和四五年一一月三〇日夜釜山市を出発、日本に来航したところ、同年一二月二日午後四時三〇分ころ佐賀県東松浦郡鎮西町串浦港付近の海上で、他の密航者一四名と共に密航船内において逮捕された。なお、原告は、その後の昭和四六年一月三〇日佐賀地方裁判所唐津支部において、出入国管理令違反により懲役一〇月の判決言渡を受け、右判決は控訴審でも維持され確定した。

二  退去強制手続の経緯

原告は、前記のとおり、昭和四五年一二月二日出入国管理令違反で現行犯逮捕され、裁判を受けたのであるが、〈証拠省略〉を総合すると、他方では、福岡入国管理事務所において原告に対する退去強制手続が開始され、その経緯(本件争点に関する判断はひとまず措く。)は次のとおりであつたことを認めることができる。

1  福岡入国管理事務所入国警備官井上総夫は、昭和四五年一二月二一日唐津警察署において、令二四条一号該当容疑により原告に対し違反調査を行ない、同月二四日右該当容疑事件を同管理事務所入国審査官に引継いだところ、同管理事務所入国審査官橋本清は、同月二六日同署において第一回審査を、引続き昭和四六年一月六日第二回審査を各行ない、その結果、右同日、「原告は令二四条一号に該当する。」旨認定した。

2  原告は、即日、右認定に対し、同管理事務所特別審理官に口頭審理を請求したので、特別審理官宮原藤彦は、同月一一日、唐津警察署において口頭審理を行ない、「原告に対する先の入国審査官の認定は誤りない。」旨判定したところ、原告は、右判定に服し異議申出を放棄したので、被告は、令四八条八項に基づき本件処分をなした。

3  福岡入国管理事務所入国警備官西原敏は、昭和四六年九月三日、原告が入院中の国立福岡東病院において、本件令書を原告に示してこれを執行したところ、原告は、肺結核治療を理由に仮放免の許可を願い出たため、被告は、同日、期間を一か月、居住地を右病院内と指定して仮放免を許可し、以後一か月ごとに仮放免の期間延長を許可していた。

4  原告は、その後広島刑務所に再収監されたが、同刑務所を満期出所した日である昭和四八年八月二五日、広島入国管理事務所入国警備官堀井壮治から本件令書を執行され、大村入国者収容所に移送されて同収容所に収容された。その後原告は、昭和五一年一月三一日付で、肺結核の治療を理由として期間一か月の条件付で仮放免を許可され、以後一か月ごとに期間延長の許可をうけ、現在国立福岡東病院に入院中である。

以上のとおり認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三  原告主張の本件処分の無効理由に対する判断

(無効理由(一)に対する判断)

原告は、本件処分は、そもそも原告に告知されておらず、たとえ、被告の保管する記録に、原告が本件処分の通告を受けたことを示す本人の署名があつたとしても、それは、本件令書と昭和四四年の前回の強制退去の際に横浜入国管理事務所主任審査官から発付された退去強制令書(以下「前回の令書」という。)との日付が同一であつたことから、原告が本件令書を前回の令書と誤解して署名したに過ぎないのであるから、右署名をもつて本件処分の告知があつたとの証拠とすることはできず、また、原告は身元引受人によつて本件令書が発付されたことを知つたのであるが、単なる私人にすぎない身元引受人の行為によつて行政処分の有効な告知がなされたと解することもできず、結局、本件処分は原告への告知を欠くものとして無効である旨主張する。

よつて、検討するに、原告本人尋問の結果中には、その要旨、「原告は、昭和四六年八月ころ福岡東病院において、入国警備官西原敏から、いきさつも話されずに、ちよつと書類に名前を書いてくれんか、と言つて書類を渡されたので、ただ孫振斗と書いて指印して渡したところ、同年九月ころ右西原が再度訪れて来て孫振鴻と書いてくれと言われたので、そのように書いて渡した。右書類の上欄に1・16という文字が書いてあつたから、前回横浜入国管理事務所に収容された日が一月一六日であつたことから、右書類は前回の強制送還に関する書類と思つた。」旨の供述があるところ、なるほど、本件令書の上欄右肩部分に「昭和46年1月16日」との記載が、また、前回の令書には、「仮放免中の原告を昭和四四年一月一六日横浜入国管理事務所に再収容した。」旨の記載があることは、〈証拠省略〉によつて認められるところである。しかしながら、本件令書には右のとおり「昭和46年1月16日」と明記されているのであつて、昭和四四年ではなく昭和四六年であることは一見して明瞭である。そもそも原告は、前回昭和四四年の退去強制によつて現実に韓国に送還され、その後再び本邦に密入国したため、原告に対する本件退去強制手続及び出入国管理令違反による刑事裁判手続が行われ、既にかなり以前に終了していたのであつて、その後になつて前回執行ずみの退去強制に関する書類に原告の署名を必要とするということは、よほど特別の事情でもない限り、何人も容易に思い及ばないところと考えられる。

のみならず、原告本人尋問の結果によれば、原告の日本語の読み書きの能力は普通の日本人と変らないことが認められるばかりでなく、前記のとおり原告は過去三回にわたつて退去強制処分を受けた結果、退去強制の手続について十分な知識を有し、かつ、その当時自己が強制送還されるかどうかにつき強い関心を抱いていたと思料されるのであるから、入国警備官から署名を求められた書面を全部見ることもせず、あるいはその内容が理解できないまま説明を求めなかつたということも、たやすくは理解し難いところである。

更に、〈証拠省略〉によると、原告は、本件令書に署名指印し、その執行を受けた後、即日肺結核を理由に仮放免を願い出てこれを許されているのであるが、これについて原告は願出人の委任状にも署名押印していることが認められるのであつて、このことからしても、原告が〈証拠省略〉を本件処分にかかる退去強制令書であると認識しつつ、これに署名指印したことを推認するに十分である。

以上の諸点に〈証拠省略〉を総合すれば、原告は本件令書が発付されていることを承知のうえ、本件令書に署名指印したことが明らかであるというべく、これに反する前掲原告本人の供述は到底信用することができない。してみると、本件処分は原告に対し有効に告知されたというべきである。よつて、原告の前記主張は、これを採用することができない。

(無効理由(二)に対する判断)

原告は、憲法三一条が退去強制手続に適用(ないし準用)されることを前提とし、特別審理官原藤彦の法務大臣に対する異議申出の放棄強要とそれに続いてなされた本件処分は憲法三一条に違反する無効のものである旨主張する。

よつて、検討するに、当事者間に争いのない事実に、〈証拠省略〉によると、口頭審理の経緯につき次の事実を認めることができる。

1  原告は、出入国管理令違反で起訴された後も唐津警察署に勾留されていたところ、昭和四六年一月六日、福岡入国管理事務所入国審査官橋本清から令二四条一号に該当する旨の認定を受けたので、直ちに口頭審理の申出をなした。そこで、右入国審査官は、右同日、右管理事務所特別審理官宛に原告が口頭審理の請求をする旨申し立てたことを通知したところ、右管理事務所特別審理官宮原藤彦は、同月七日ころ、原告に対し同月一一日午前九時三〇分唐津警察署において口頭審理を行なう旨の同月六日付口頭審理期日通知書を託送し、同月一一日の午前九時三〇分ころから右警察署二階刑事課の大部屋事務室で口頭審理を実施した。なお、その際、右事務室には、原告ら以外にも、何名かの右警察署職員が執務していた。

2  同特別審理官は、原告に対し、まず、身分事項、経歴を調べ、次いで、入国警備官、入国審査官の各段階で作成された供述調書等の書類のうち、口頭審理請求の原因となつた事実上の主張に関する記載部分、本人の供述の相違点等について審理をしていたところ、午前一一時ころ、唐津警察署署員から、福岡の大韓民国領事館の金領事が原告に面会を求めているので暫くの間原告を連れて行きたいとの申出があつたので、同特別審理官はこれを了承し、そのため口頭審理はいつたん中断した。ところで、原告に対する金領事及びこれに同行した大韓民国居留民団の曹副団長の面会は約三〇分で終了したので、同特別審理宮は、午前一一時三〇分ころから再び口頭審理を開始し、原告に金領事らとの面会の状況について尋ねたところ、原告が、「金領事らから原爆症を訴えているが確証もないし、前にも在留特別許可が出なかつたのだから、今回も法務大臣に対する異議申出の手続をすると帰国が遅れるではないかと言われたので、金領事らに一日も早く帰国します。」と答えた旨話したので、「一日も早く帰国したい」との旨を口頭審理調書に記載して昼休みに入つた(原告は、金領事らとの面会前までは異議申出の意思があることを表明していたところ、面会後に右のとおりその意思を急に変えたのであるが、同特別審理官は、昼休みまで時間もあまりないことから、面会状況の詳しいことは後に聞くこととして、とりあえず右の点のみを調書に記載するにとどめた。)。

3  宮原特別審理官は、午後一時ころ口頭審理を再開し、原告と金領事らとの面会状況を詳しく尋ねたところ、原告は、金領事らから「貴方は前回の昭和四三年に不法入国した際にも法務大臣に対する異議申出をしたが在留特別許可にならなかつたのであるから、今回もおそらく許可になるまい。原爆症を訴えているが、診断の結果等から判断し確証がない。異議申出をすれば帰国が遅れる。朝鮮総連等から宣伝の材料にされる。」等の理由から「異議申出をせずに帰国したらどうか。」と勧められ、更に、「帰国に際しては、自費出国で帰れるよう手配する。帰国後に原爆症であることがわかり治療費等を負担してやるとの申出があつたときには、日本に行けるよう便宜を図つてやる。」とも言われたので、法務大臣に対する異議申出はせず、早く帰国することに決心したと述べた。

4  そこで、右特別審理官は、作成した口頭審理調書を読み聞かせたうえそれに原告の署名指印を求めたところ、原告はこれに応じ任意に署名指印したので口頭審理を終結し、「原告は令二四条一号に該当する旨の認定に誤りはない」旨の判定を行ない、右判定書の謄本を原告に交付し、引続いて、右判定にともなう法務大臣に対する異議申出の放棄等の法律上の効果を説明するとともに、原告に判定に服するかどうかを尋ねたところ、原告は、「金領事らからの説明もあり、今回は異議申出をすることなく一日も早く判定に服し帰国します。今後は正式の手続をふんで日本に来たいと思います。」と答え、同日その場で異議申出抛棄書に署名指印してこれを右特別審理官に提出した。

以上のとおり認められる。

ところで、原告本人尋問の結果中には、原告が特別審理官宮原藤彦に対し、日本で原爆症の治療をしたいから法務大臣に対する異議申出をしたい旨訴えたところ、右特別審理官は、「前にも退去命令がでているんだから、そういう手数ばかりかけるな。」、「横着なことをいうな。」と何回も繰り返し述べ、果ては「わからんのか。」と大きな声を出したり、更には、「韓国に経済援助をしているじやないか。」と述べたり、誘導的にごまかすようなことを言つたり、また、原告がタバコを吸つていて灰が机に落ちたところ、同じ部屋に居た唐津警察署の警備課職員から、「ここは朝鮮じやない。」等と侮辱的なことを言われたりしたため、結局、原告は自暴自棄的な気分になり、異議申出抛棄書に署名指印せざるをえなくなつた旨の供述がある。

そこで、右供述と対比すべき証人宮原藤彦の証言をみると、同証言中には、「孫振斗事件は、当時新聞あたりでも原爆証患者の不法入国ということで世間の注目を集めているから慎重な審理をしなさいと所長から特別の注意を受けており、私自身として後に問題を残すことのないよう慎重に振舞い、本人が異議申出をするといえば当然させるつもりですべてを処理した。」旨の供述があつて、右特別審理官も本件口頭審理には十分配慮していた事情が窺われる。もつとも、口頭審理の実情を述べた同証人の供述中には、「私は普段からある程度声が大きくて、ちよつと熱中するとまた少し声が大きくなるというような傾向はあります。」、「ひよつとすれば手数をかけるなということは、とにかくそげん嘘ばかり言うて手数ばかりかけてはいかんじやないかと言つたぐらいはあるかもわかりません。」との供述がある。しかし、それは、同証人の証言によれば、原告がそれまで入国警備官及び入国審査官に述べていた氏名、住所、本籍地等が過去三回の退去強制手続における原告の陳述とくい違つており、同証人としては、原告が法務大臣に異議申出をするならば、当然右の点が問題とされると考えたので、原告から納得の行く説明を聞き出したいと思い、種々問い訊したけれども、原告が言を左右にしたり、黙したりするので、つい右のような言動に及んだというのである。そして、氏名、本籍地等についての原告の従前の陳述にいくつかの矛盾点があつたことは〈証拠省略〉によつても明らかであり、また、原告本人の供述中にも、「特別審理官から、名前を孫振鴻と言つたり、孫振斗と言つてみたりして前のことを隠そうとしているのではないかと言われ、その経緯を説明しても、そういう横着するなとか、手数をかけたりするなとか何回も繰り返した」旨の部分があることから考えると、宮原特別審理官から異議申出放棄を迫られたとの趣旨の前掲原告の供述は、原告の身分事項について審問が行われていた際の同特別審理官の言動に関するものではないかと思われる。

更に、原告の供述中「前にも退去命令がでているんだから、そういう手数ばかりかけるな。」と言われたとの点に関連して、証人宮原藤彦の証言のうち「……私は退去になりますか、ということを聞きますから、私はあなたは三回も強制送還されているということはあなたにとつてはマイナスのことであるなと、しかし、最終的には法務大臣が決められることであるから私の口から何も言えない……」と述べた旨の部分があるが、右の言辞はそれ自体として不当なものとは考えられないし、右供述部分をもつて前掲原告本人の供述の信憑性を裏づけるものとすることも相当でない。

以上のとおり、原告本人尋問の結果中、宮原特別審理官から異議申出の放棄を強要されたとの趣旨にとれる部分は〈証拠省略〉と対比して措信することができない。なお、原告本人尋問の結果によると、原告が口頭審理中煙草の灰を机の上に落したところ、同じ大部屋に居た唐津警察署の署員が「ここは朝鮮じやない」と言つたというのであつて、もしそうだとすると、右言辞は甚だ穏当を欠き、遺憾ではあるが、これもつて原告の自由な意思の発動が妨げられたとは考えられない。

また、原告は、右特別審理官が異議申出を放棄させるために、電話で福岡から金領事及び曹副団長を呼び寄せ、こもごも異議申出放棄を迫つた旨主張する。

案ずるに、原告が宮原特別審理官に対し、金領事及び曹副団長との面会の状況を詳して告げ、今回はできるだけ早く帰国したい旨申し述べたことは前認定のとおりであり、また、原告本人尋問の結果中には、「金領事から、刑事事件については控訴しないで早く帰国するようにと言われた。曹副団長から、日本に密入国したことについて非難めいたことを言われたうえ、弁当代にと五、〇〇〇円を貰つた」旨の部分がある。しかし、宮原特別審理官が金領事らを電話で呼び寄せたとか、同領事らと意思を通じて原告に異議申出放棄を迫つたというような事実を窺わせるに足る証拠は全く存しない。却つて、証人宮原藤彦の証言中、その要旨、「金領事が面会に来ることは全く知らなかつたし、口頭審理中席を外して同領事と会つたこともない。領事たる地位にある者に原告を説得に来てくれなどと頼めば国際問題にまで発展することは常識的にわかつているし、そのようなことをしてまで原告に異議申出放棄させなければならない理由はなかつた。」との部分は諸般の事情に照らし十分措信するに足り、原告の右主張を採用することはできない。

以上のとおりであつて、当時原告が肺結核を患つていたうえ、出入国管理令違反容疑で末決勾留中の身であつたこと等、原告の当時の身体的状況、その置かれた地位、環境等を十分考慮に入れても、特別審理官宮原藤彦が口頭審理にあたつて、原告に対し、法務大臣に対する異議申出を放棄させるため原告を威迫し、強要したとの事実を認めることはできず、むしろ前示認定の各事実に照らすと原告の法務大臣に対する異議申出の放棄は原告の自由な意思に基づき適法になされていると認めることができる。

してみると、無効理由(二)に関する原告の主張はその前提を欠き、失当というほかはない。

(無効理由(三)に対する判断)

原告は、令二四条に基づく主任審査官の退去強制令書発付処分が主任審査官の裁量に属することを前提として、日韓両国の歴史的背景、原告の経歴、特に被爆の事実等に鑑みるとき、本件処分は明らかに裁量の判断を誤つたもので、その瑕疵は重大かつ明白であるから無効である旨主張する。

よつて、検討するに、なるほど令二四条は、原告主張のように、「左の各号の一に該当する外国人については、第五章に規定する手続により、本邦からの退去を強制することができる。」旨規定している。しかし、右規定は、外国人に国外退去を強制するについての実体上の要件を定めたものであつて、規定の形式上右のような文言が用いられているからといつて、直ちに、右規定に基づく権能の行使としてなされる行政庁の処分が裁量行為であると解されるものではない。本件で問題の主任審査官による退去強制令書発付の処分が裁量行為であるかどうかは、出入国管理における退去強制制度の趣旨、目的に鑑み、かつ、退去強制手続を定めた各規定の合理的解釈によつて定められるべきものである。

ところで、出入国管理令によれば、外国人は、有効な旅券又は乗員手帳を所持しなければ本邦に入つてはならないとされ(令三条)、これをうけて、令二四条一号は、不法に本邦に入つた者を退去強制事由の一に定めているのである。そして、退去強制の手続を定めた令第五章によれば、入国警備官は、令二四条各号の一に該当すると思料する者(容疑者)があるときは、必要な調査をとげ、容疑者を収容したときはこれを入国審査官に引き渡し、入国審査官は、審査の結果容疑事実を認定したときは、主任審査官にその旨を通知し、更に容疑者から口頭審理の請求があれば、特別審理官において口頭審理を実施し、その結果入国審査官の認定に誤りがないと判定したときはその旨を主任審査官に通知しなければならず、この場合において、当該容疑者が右判定に服したときは、主任審査官は、その者に対し、異議を申し出ない旨を記載した文書に署名させ、すみやかに令五一条の規定による退去強制令書を発付しなければならないと定められている(令四八条八項)。このように、主任審査官は、容疑者が令二四条各号の一に該当するか否かについての入国警備官、入国審査官及び特別審理官の各段階を経た判断の結果に従つて退去強制令書を発付することを手続上義務づけられているのであり、これを発付するかしないかについて裁量権を有するものでないことは、条文上明らかというべきである。これを実質面から考えても、退去強制はこれを受ける者の自由を拘束し、不利益を課する処分であるから、その権能の行使は法的に拘束されていると解すべきであり、法律上の根拠がないのに、処分、不処分を裁量によつて定めることは許されないと解すべきである。

原告は、令二四条四号ホ「貧困者、放浪者、身体障害者等で生活上国又は地方公共団体の負担になつているもの」を例にあげ、生活に困窮している在日朝鮮人に対しては「行政上の措置」として生活保護法に基づく給付がなされており、右条文を根拠に退去強制がなされることはなく、この事実に照らしても、退去強制令書発付処分は裁量行為と解すべきである旨主張する。思うに、令二四条四号に定める各退去強制事由のうちには違反事実に該当するかどうかの一義的な認定が必ずしも容易でないものも存するが、かような場合においてはそれらが退去強制の事由とされた趣旨、目的に照らし合理的に判断さるべきことはいうまでもなく、その判断に基づく処分が法規に覊束されることに変わりはないというべきであつて、原告の右主張は理由がない。

主任審査官による退去強制令書発付の処分が原告主張のような裁量的なものでないことは上記のとおりであるが、令四九条、五〇条によれば、特別審理官から違反事実の認定に誤りがない旨の判定を受けた容疑者は、法務大臣に対し異議を申し出ることができ、法務大臣は、異議の申出が理由がないと認める場合でも、特別に在留を許可すべき事情があると認めるときは、その者の在留を許可する(特別在留許可)ことができることとされ、法務大臣の裁量による本邦在留の途が開かれている。原告は、特別在留許可の場合には在留資格に制約が付されるから、これとは別に、主任審査官の裁量による退去強制不該当の措置を認める必要がある旨主張するが、退去強制事由に該当することを前提として特別に在留が許可される場合の在留資格に制約が付されることはやむをえないところであつて、これがために他に特別の救済方法が講じられなければならない旨の原告の主張は、法解釈上失当というほかはない。

以上のとおり、主任審査官が退去強制令書発付につき裁量権を有するとの原告主張は理由がないと言わざるをえず、したがつて、本件処分が裁量を誤つた違法、無効な処分である旨の原告の主張は、その前提を欠くというべきである。

しかしながら、翻つて考えるに、原告が請求原因3(三)で主張しようとするのは、主任審査官の裁量権の有無に拘わらず、日本と韓国との歴史的背景、原告の経歴、被爆の事実、現在の生活状況等に鑑みるとき、原告を韓国に強制送還することは原告に死を迫るに等しく、条理に照らし本件処分は無効とせざるをえないとの主張を含むものと解せられなくもない。そして、仮に原告主張のように、本邦からの退去強制がその者の生命を不当に損う事態が予測されるなど、著しく正義、人道に反することが明らかな場合には、たとえ主任審査官の令四八条八項に基づく退去強制令書の発付が事実の認定に誤りがなく、かつ、手続履践の点で欠けるところがなかつたとしても、その効力を否定すべき場合のあることを全く否定することはできないと考えられる。蓋し、それは、主任審査官が裁量権を有するか否かといつた性質の問題ではなく、憲法の基本原理たる基本的人権の尊重と人類共通の自由と人道の理念にかかわる問題であるといわなければならないからである。そこで、以下、更に原告の主張について検討することとする。

原告は、過去における日本と朝鮮との関係について種々主張するところ、それをいかなる視点からどのように評価するかはともかくとして、いわゆる日韓併合により朝鮮が日本の領土とされ従前朝鮮に属した人は日本国民となつたこと、爾来原告指摘のような同化政策のもとに多数の朝鮮籍人が日本本土に渡来し、特に第二次大戦中の特殊事情下において多くの人達が本土への移住を余儀なくされたこと、日本の敗戦に伴うポツダム宣言の受諾、サンフランシスコ平和条約の締結により、日本は朝鮮に対する領土主権を失つて新たに大韓民国及び朝鮮民主主義人民共和国が成立し、かつて朝鮮に属した人は自動的に日本国籍から離脱したものとして取り扱われるに至つたが、現在なお多数の朝鮮人が日本に居住していることは、動かし難い事実である。このような歴史的背景等を考慮した日本国と大韓民国との間の協定により、日本の敗戦前から引き続き日本国に居住している者については日本国への永住権が認められ、出入国管理上も特別の地位が与えられている(日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法)のであるが、かつて日本に居住したことのある韓国人であつても、右により永住権を有する者に該当しない限り、一般の外国人と同様に出入国管理令の適用を受けることはいうまでもない。したがつて、原告が前記のような生い立ち、経歴を有し、昭和二六年に韓国に強制送還されることなく引き続き日本に居住していたとすれば日本国への永住が認められているはずであつたことは原告主張のとおりではあるが、そのこと自体は本件処分の適法性に影響を及ぼすものではない。

問題は、原告が原爆症の治療のために本邦に在留を望んでいるとの点にあるので、韓国内での原爆被爆者の実情、その治療体制等がどのようなものであるかについて検討を要することとなるが、〈証拠省略〉によれば、同人は広島市において被爆し、顔全体に火傷を負い片耳を欠損するという傷害を受け、昭和二〇年暮ころ韓国に帰国し、家族や親類の援助で二、三年は寝たまま療養し、その後も近親者の助けを受けて生活して来たが、同人の場合は恵まれた例であり、十分な安息、栄養物の摂取もできないまま死亡した被爆者も多かつたこと、韓国では医学界を含め、一般に被爆者及び原爆症に対する関心が低く、被爆者自身すら原爆症に対する認識を持たないものが多く、被爆による症状が出ても周囲の理解、同情を得ることは難しいこと、約九年前同人ほか数名の被爆者が集まつて「韓国人被爆者援護協会」を設立したが、これは被爆者自身の団体であり、被爆者を援護する者の団体ではなく、公的な機関からの援助は全くないこと、韓国では被爆者を対象とした専門的医療施設は全くなく、医者にかかつても原爆症という診断がされることはなく、他の病名で対症療法を受けるにとどまること、被爆者の多くは生活に困窮しており、殊に、日本で生まれ育ち韓国語の能力が十分でない者は就職の面でも不利益となり、みじめな生活を送つている例が多いこと、一般の韓国人の間には、原爆被害は日本の責任であるから当然日本政府が被爆者への援助をすべきであるという意識が非常に強い一方、日本の実情に暗いため、善意の支援団体等が訪韓してもひどい反感を招くことがあり、また、マスコミ関係者が取材に来たりすると、取材の対象となつた被爆者は多大の金銭的援助を受けたものと誤解され、却つて迷惑を被る場合もあること、韓国人が原爆症の治療のため日本に赴くためには、これを受け入れる側で一切の費用を支弁することが必須の条件であり、治療目的で渡航許可を受けることは実際上極めて困難であること、「韓国人被爆者援護協会」ではかねてから日本政府の関係高官に対し援助の善処方を要望し続けており、韓国政府から申入れがあれば人道的立場から何らかの法的措置を講じる用意がある旨の言明を得ているが、現行法規の運用面ではかなり好意的な取扱いがされるようになつたものの基本的な対応策は現在まで何も講じられていないこと等の事実が認められる。

以上のような実情であるとすれば、当裁判所としても、在韓被爆者に対し、公的な方法による適切、有効な援助の途が開かれる日の一日も早いことを望むものであり、日本国は、種々の困難があるにしても、その実現に努力する責任があるのではないかと考える。

そこで、すすんで、原爆症治療の目的で日本に入国した旨の原告の主張について検討する。

原告が広島市で被爆したとの点については、前記のとおりこれにそう原告本人の供述があり、これを措信し難いとする証拠は他に存しない。また、原告は昭和三七、八年ころ肺結核の診断を受けた際、同時に、白血球が減少しているとの診断を受けたことも前記のとおりである(白血球減少は種々の原因から生じうるが、放射線障害に特異的に多発する症状であることは顕著な事実である。)。してみると、原告については一応原爆症の疑いがあつたと認めるのが相当である。更に、〈証拠省略〉によれば、原告は不法入国の容疑で逮捕され、入国警備官の取調べを受けた当初のころから本件特別審理官の口頭審理まで一貫して、被爆したこと及び病気治療の目的で入国したことを訴えていたことが認められる。

しかし、原告の具体的な病状についてみると、原告本人尋問の結果によるも、被爆による原告の負傷は通常の外傷であり、その他被爆直後放射線障害による急性の症状が現われたことはなく、身体がだるく、時々めまいがするといつた状態であつたというのであり、昭和三七、八年ころ始めて肺結核の診断を受け、その後昭和四五年六月ころ肺結核がかなり悪化しているとの診断を受けたことは前記のとおりである。更に、原告は昭和四六年八月肺結核の病状悪化及び肺癌の疑いで刑の執行を停止され、結核予防法による命令入所措置により国立福岡東病院に入院して肺結核の治療を受け、次いで昭和四八年一月から五月までの間白血球減少症の検査、治療のため広島赤十字病院に入院したことは当事者間に争いがない(なお、右の検査結果がどうであつたかについては、何らの証拠も提出されていない。)。

以上の各事実からすれば、原告の症状は肺結核によるものと推認するのが相当であり、仮に原爆症の疑いがあつたにしても、それは急性かつ危険性の高いものではなかつたと認めるのが相当である。

してみると、本件処分当時、原告が原爆症の重症患者であつて、日本国内でなければ治療ができず、韓国に送還されるならば座して死をまつほかないというような急迫した状態にあつたとは到底認めることはできない。

そうだとすると、たとえ、日本と韓国との歴史的背景、原告の経歴その他一切の事情を考慮しても、本件処分が著しく正義、人道に反することが明らかであるとは認められず、出入国管理令の定める退去強制事由に該当し、かつ、同政令に定める手続を履践してなされた本件処分が違法、無効であるということはできない。

よつて、無効理由(三)にかかる原告の主張は理由がない。

(無効理由(四)に対する判断)

原告は、本件処分は、原告に死を強制するものであつて、令三条、二四条一項及び四八条八項は、原告に適用される限りにおいて違憲無効である旨主張するが、本件処分が原告に死を強制する如きものでないことは既に認定したとおりであり、したがつて、右主張を採用することもできない。

四  結論

以上の次第であつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する

(裁判官 南新吾 小川良昭 萱嶋正之)

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